なんでもない毎日

学生のなんでもないブログ。ちょっと疲れた時のよりどころになれたら。

懐かしい秘密基地の話

 小学校の友達に会って秘密基地を作ったことを思い出したので紹介します。

 

 当時、田舎の小学5年生だった僕たちは遊びという遊びをしつくし秘密基地を作ることにしました。私と同級生の女の子と男の子、その男の子の弟とその友達の計5人で作ることにしました。場所は地域の公民館の敷地内の草が生い茂った場所。不法投棄された木材を集め、近所の図書館で秘密基地の作り方の本を借り5人が入るのがやっとの秘密基地が完成しました。それからは各自、家から図工の時間に作ったステンドグラスやお気に入りの漫画を持ち寄り自分たちの秘密基地が完成しました。

 同級生の女の子が中学受験をするということになり私たちの秘密基地生活は終わりを迎えましたが、その後は友達の弟たちが続けたそうです。

 

 当時の私たちは本気で5人だけの秘密だと思っていましたが大人たちはきっと知ってたんだろうなと今になってわかりました。その上で寛大な心で私たちの秘密を一緒に守ってくれてんだなと気づきました。

 当時の合言葉は忘れてしまいましたが、彼らぐらいの歳になった時同じように一緒に子どもたちの秘密を守ってあげられる、そんな大人になりたいと思わせてくれる大切な思い出です。

本を読むという行為について

 私は本を読むことが好きです。純文学と呼ばれるものも、大衆文学と呼ばれるものも好きですしミステリも恋愛小説も好きです。あまりにジャンルの好みが多岐にわたるため綴られた文章そのものに魅力を感じているのかも知れません。

 

 私が読書好きになったルーツは「勉強嫌い」にあります。小学生の頃から大の勉強嫌いだった私はどうにか勉強から逃げるための方法を模索していました。怠けるための努力なら厭わない私が編み出した方法は「国語の教科書を読む」ということでした。我が家は休日の勉強時間が定められておりその時間が過ぎるまではゲームも漫画も禁止というものでした。宿題が終わった後の持て余した数十分、得意教科も無ければ苦手な教科もなかった私は国語の教科書を眺めることにしました。すると小説や説明文、詩までも読むことが楽しくて、そこから私は読書にのめり込んでいったのです。

 

 趣味を聞かれて読書と答えるとそれはとても崇高なものだと持ち上げられることがありますがそんな大仰なことをしているつもりはありません。読書はもっと生活に根ざしたものであっていいと思うのです。

 本を読み終わったからと言ってそこから何かを学ぶ必要などないし、何も得たものが無くたっていいと思うのです。言ってしまえば途中で読むことをやめてしまってもいいと思います。そういった経験を繰り返すことであなたにとってかけがえのない一冊に出会うかも知れません。

 

 眠たい国語の授業で本を読むことが嫌いになってしまった人ももう一度書店で気になった本をよんでほしいなとおもうのでした。

「幸福」を恐れる彼女

 いつも通り暇なカフェでアルバイトをしている時、同級生の女の子からある相談をされたので忘れないうちに自分の考えをはてなブログに書き留めることにしました。初めての投稿となりますのでどうか私の稚拙な文章をご容赦ください。

 

 「『毒親』に育てられた私が幸せになることが彼らの教育が正しかったことを証明するようで幸せになることが怖い。」

 彼女の悩みはこういったものでした。本を読む事が好きで言葉を大切にする彼女の口から「毒親」という強い言葉が出て来たことにまず驚きました。彼女と私は高校1年生からの知り合いですがその時の彼女は今と違う苗字をしていました。彼女の家庭環境を詳しく知るわけではありませんが彼女と遊んだ後いつも「帰りたくないなあ」としきりに呟いていたことを記憶しています。

 

 彼女が明確な返答を私に求めていたわけではないかもしれないし、複雑な親子関係に第三者の助力が介入する余地などあるのかとも思いましたがもやもやが残った私は帰宅後しっかりと考えることにしました。

 考えた結果、彼女の現状として「自分が幸せになりたい」気持ちよりも「親の育て方が正しかったと思いたくない」気持ちの方が大きいのかなと思いました。彼女がこの2つの気持ちを切り離して考えることができれば自分の幸せを素直に喜べるようになるのではないかと考えました。

 

 幼少体験からくるトラウマや根底に根付く感情はそう簡単に取り除けるものでは無いことも重々理解していますが、人が人を思う気持ちも同じくらい大きなエネルギーになると考えています。今度彼女に会ったら今日思ったことを飾らず伝えたいです。

 まとまりも無く答えにすらなっていないかも知れませんが最後まで読んでいただきありがとうございました。